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黑田官兵卫孝高瘸腿之谜

れは明治元年四月、余は年十六にして父を丧ひ、其の家督を相続せしか、几はくもなく维新の戦争起りて、军队に编入せられたれとも、明治年の春、突然藩命を以て、队伍より抜擢せられて、秋月に留学し、次て东京に游学するに至りたり、然るに明治四年廃藩置县の大改革に依り、藩厅より归国の命に接したれとも、余は心窃かに期する所ありて,依然东京に滞留し、知人の许に寄食して、苦学せしか、一日阁下の祖父君长ひろ(博のヘンがさんずい)卿より召されて、米国留学の恩命を排し、阁下の父君长知卿に随いて、彼の国に赴き、滞米八ヶ年、法学を修め、归朝后官途に就き、尔来三十有六年、各官に歴任し、或は阁班に加はり、或は枢府に列して、国务に参画し、聊か微衷を皇室に致し、圣恩の万分の一を报することを得たるは、皆是れ贵家の赐ならさるはなし。

    余は此の如く、贵家の殊遇に浴せしものなれは、藩恩の念も亦切にして、梦寐にも贵家を忘るゝ能はす、顷来余は公务の余暇を以て、贵家の始祖如水公の事迹を搜集せしに、寛永の顷、贵家に於て编纂せしめられたる、黒田家谱を始め、其の他の诸书、概ね幕府を惮りて、其の真相を记述すること能はさるに依り、同公
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